「教わる」のではなく「学ぶ」
授業を受けるだけでなく、自身の疑問やテーマを持って臨み、様々な面から学んだことを整理・再構築する事により考える力を身につける事が大切です。その中で、疑問や問題が新たに生まれてくると思いますが、一つ一つ、研究し理解していく事で、様々な物事の本質を見極める力をつけましょう。
「何故?」「どうして?」と思う事が、「学ぶ」に繋がる第一歩です。日常の中で見過ごしている様々な疑問に興味を持ち、調べて理解していくうちに、単なる「知識」に留まらず「知恵」を身に付けられるでしょう。失敗を恐れず自分なりに問題に取り組み続ける、その過程で「学ぶ」ことが、あなたを自身を成長させます。
担当科目
- 王朝時代・共和政時代のローマ建築
- 帝政初期の建築
- 五賢帝時代
- 属州の活動
- ローマ帝国後期の建築活動
王朝時代・共和政時代のローマ建築
ギリシア芸術の導入と北方の植民市
紀元前4世紀まで、ローマ市は地中海文明からは完全に取り残された、どちらかというとあまり目立たない存在だった。ローマの最初の建築は、その歴史が示すように、エトルリアからの直接的な影響を受けている。
コロッセオ
ローマ社会の形成と共和政時代の建築
紀元前2世紀以後、急速に進んだ社会構造の複雑化に対応するため、ローマではギリシア起原の建築も独自に修正され、都市の中に組み込まれていった。
帝政初期の建築
アウグストゥスによるローマの整備
ユリウス・カエサルと、その後継者にしてローマ帝国の初代皇帝となったアウグストゥスは、保守的傾向の強い共和政末期の建築を継承した。
ジェズ教会
ローマ中心部の開発
ユリウス・クラウディウス朝からフラウィウス朝までのローマ建築は決定的に保守的で、概してヘレニズム建築の延長であったが、アウグストゥスの時代に顕著であったこの古典主義的傾向は、クラウディウスの時代になると緩やかに衰退し始める[26]。クラウディウス帝時代に完成したプラエネスティーナ門のようなルスティカ仕上げは、それまでの古典的意匠とは相容れず、(水道橋という実用的建築であったこともあるが)それまでの伝統とは異なる新しい建築の表現が現れつつあったことがわかる。
フォロ・ロマーノ
五賢帝時代
トラヤヌスの時代のローマ建築
トラヤヌス帝の建築を考察する際には、建築家ダマスカスのアポロドーロスの名を挙げなければならない。彼がどのような指向を持った人物だったかについては議論があるが、ローマン・コンクリート技術を巧みに操ることのできた技術者で、都市計画についても知識を発揮できた人物であることは確かである。
ポン・デュ・ガール
ハドリアヌスの建築と首都ローマの停滞
古代世界で最も偉大な皇帝と呼ばれるハドリアヌスは、トラヤヌスが獲得したパルティアなどの不安定な領土の維持を放棄し、国境線を画定した[39]ため、バル・コクバの乱を除いては、帝国は平和な時代を迎えた。ハドリアヌスによってもたらされた平和は、ローマ建築を成熟させ、帝国の威厳を体現するようなすばらしい建築を生み出すことになった。
属州の活動
東方属州の伝統的建築と地方様式
ギリシア、小アジアのエーゲ海沿岸部では、ヘレニズムの伝統が常に生き続けた。古代から繁栄を続けていた都市には、西方からの影響はほとんどもたらされず、アテネに建設されたアグリッパのオデイオンなどは、イタリアの特徴を備えているという、その特異性からむしろ注目される。
ゼウス神殿
ローマ帝国後期の建築活動
首都の衰退とテトラルキア
すでに五賢帝の時代からローマ帝国は衰退をはじめており、特に国境防衛力の弱体化は、マルクス・アントニヌス帝の時代に顕著となった。
トレヴィの泉
末期ローマ建築と初期キリスト教建築
四分治制はローマ建築に新たな息吹を与えたが、このような体制はディオクレティアヌスの強力な手腕によって維持されたものであり、彼の死後、ローマ帝国は急速に安定を失った。