(九)カルボナード島
それからの五年は、ブドリにはほんとうに楽しいものでした。赤ひげの主人の家にも何べんもお礼に行きました。
もうよほど年はとっていましたが、やはり非常な元気で、こんどは毛の長いうさぎを千匹以上飼ったり、赤い甘藍《かんらん》ばかり畑に作ったり、相変わらずの山師はやっていましたが、暮らしはずうっといいようでした。
ネリには、かわいらしい男の子が生まれました。冬に仕事がひまになると、ネリはその子にすっかりこどもの百姓のようなかたちをさせて、主人といっしょに、ブドリの家にたずねて来て、泊まって行ったりするのでした。
ある日、ブドリのところへ、昔てぐす飼いの男にブドリといっしょに使われていた人がたずねて来て、ブドリたちのおとうさんのお墓が森のいちばんはずれの大きな榧《かや》の木の下にあるということを教えて行きました。それは、はじめ、てぐす飼いの男が森に来て、森じゅうの木を見てあるいたとき、ブドリのおとうさんたちの冷たくなったからだを見つけて、ブドリに知らせないように、そっと土に埋めて、上へ一本の樺《かば》の枝をたてておいたというのでした。ブドリは、すぐネリたちをつれてそこへ行って、白い石灰岩の墓をたてて、それからもその辺を通るたびにいつも寄ってくるのでした。
そしてちょうどブドリが二十七の年でした。どうもあの恐ろしい寒い気候がまた来るような模様でした。測候所では、太陽の調子や北のほうの海の氷の様子から、その年の二月にみんなへそれを予報しました。それが一足ずつだんだんほんとうになって、こぶしの花が咲かなかったり、五月に十日もみぞれが降ったりしますと、みんなはもうこの前の凶作を思い出して、生きたそらもありませんでした。クーボー大博士も、たびたび気象や農業の技師たちと相談したり、意見を新聞へ出したりしましたが、やっぱりこの激しい寒さだけはどうともできないようすでした。
ところが六月もはじめになって、まだ黄いろなオリザの苗や、芽を出さない木を見ますと、ブドリはもういても立ってもいられませんでした。このままで過ぎるなら、森にも野原にも、ちょうどあの年のブドリの家族のようになる人がたくさんできるのです。ブドリはまるで物も食べずに幾晩も幾晩も考えました。ある晩ブドリは、クーボー大博士のうちをたずねました。
「先生、気層のなかに炭酸ガスがふえて来れば暖かくなるのですか。」
「それはなるだろう。地球ができてからいままでの気温は、たいてい空気中の炭酸ガスの量できまっていたと言われるくらいだからね。」
「カルボナード火山島が、いま爆発したら、この気候を変えるくらいの炭酸ガスを噴《ふ》くでしょうか。」
「それは僕も計算した。あれがいま爆発すれば、ガスはすぐ大循環の上層の風にまじって地球ぜんたいを包むだろう。そして下層の空気や地表からの熱の放散を防ぎ、地球全体を平均で五度ぐらい暖かくするだろうと思う。」
「先生、あれを今すぐ噴かせられないでしょうか。」
「それはできるだろう。けれども、その仕事に行ったもののうち、最後の一人はどうしても逃げられないのでね。」
「先生、私にそれをやらしてください。どうか先生からペンネン先生へお許しの出るようおことばをください。」
「それはいけない。きみはまだ若いし、いまのきみの仕事にかわれるものはそうはない。」
「私のようなものは、これからたくさんできます。私よりもっともっとなんでもできる人が、私よりもっと立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりして行くのですから。」
「その相談は僕はいかん。ペンネン技師に話したまえ。」
ブドリは帰って来て、ペンネン技師に相談しました。技師はうなずきました。
「それはいい。けれども僕がやろう。僕はことしもう六十三なのだ。ここで死ぬなら全く本望というものだ。」
「先生、けれどもこの仕事はまだあんまり不確かです。一ぺんうまく爆発してもまもなくガスが雨にとられてしまうかもしれませんし、また何もかも思ったとおりいかないかもしれません。先生が今度おいでになってしまっては、あとなんともくふうがつかなくなると存じます。」
老技師はだまって首をたれてしまいました。
それから三日の後、火山局の船が、カルボナード島へ急いで行きました。そこへいくつものやぐらは建ち、電線は連結されました。
すっかりしたくができると、ブドリはみんなを船で帰してしまって、じぶんは一人島に残りました。
そしてその次の日、イーハトーヴの人たちは、青ぞらが緑いろに濁り、日や月が銅《あかがね》いろになったのを見ました。
けれどもそれから三四日たちますと、気候はぐんぐん暖かくなってきて、その秋はほぼ普通の作柄になりました。そしてちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪《たきぎ》で楽しく暮らすことができたのでした。